那波、宇野氏、那波家、那波屋

三坂の三木家について 分離前のページです。

那波家は相生の那波にルーツがあり、赤松一族の宇野氏が後に那波と名乗るようになったとか、江戸時代は姫路に那波屋という有力な商店があり、京都の分家も有名で、さらに現在も秋田市で百貨店を経営する一族があるとか、難波屋とも呼ばれていたということが、『譜代藩城下町姫路の研究』という本に書いてありました。

姫路の那波屋も百貨店かと思っていたのですが、次の章を読んだら、金融、材木、貸家を営んでいたことが書いてありました。

136ページに家系図の簡単な説明があるのですが、

赤松 -宇野 相生の那波城 -那波 +-祐恵(-1596)姫路に出てくる +-新兵衛(宗顕)二階町  
・-六郎左衛門(徳由) 元塩町 -祐生(道圓)活所 儒学者
・-三郎左衛門 (友越) 元塩町 秋田で現在も続く百貨店
・-九郎左衛門(宗丹)  京都で有名な豪商
      ・-浄恵 徳行寺住職    
      ・-太郎 村役人    

メールによれば、上の系図の右端の活所と号した儒学者が、三木市細川町生まれの藤原惺窩の弟子だそうです。バンカルのかなり古いバックナンバー1997年冬号がたまたま楽天ブックスにあって買ったのですがその94ページで、寺林峻氏が、家康に3度請われても江戸にでなった日本における朱子学の祖藤原惺窩について書いていました。

ちなみに電話帳の分布では那波姓は全国でもそんなに数が多くはないのですが、比率としては姫路に多く存在します。他方、難波という姓は姫路にもありますが、岡山県倉敷市が多く883件でした。

外部リンク

近世こもんじょ館 那波家の家紋は、丸内大之字ということのようですね。
地形図閲覧システム検索インデックス 兵庫県相生市の他には、徳島県や鹿児島県にある地名の様です。読みは「なわ」ではなく「なば」なのですね。
1896年から1900年までの消滅郡 1896年までは那波郡があったのですね。江戸時代に酒井家について姫路にやってきた家来もいたかもしれないということで、姫路でも、宇野氏が那波を称するようになった系統と、別の系統が考えられるかも知れません。
市町村変遷:群馬県 群馬県の方の地名の読みは、「なば」ではなく「なわ」の様なので、漢字は同じでも読みで区別できそうですね。

2004/4/19追記

Google 検索 難波 sitewww.kct.ne.jp 倉敷市といえば、家系図MLの清水さんのいる市なので、清水さんのサイトに情報がたくさんありました。姫路の那波屋と倉敷市の難波姓とはあまり関係がなさそうです。 2004/4/20追記
難波家 たとえば、この難波家は周防国からやってきたとなっています。 2004/4/20追記
『譜代藩城下町姫路の研究』の最初の方のページに、那波家から壱丁町の三木家に養子に入ったというのが出てきました。辻川の三木家が、多くの蔵書を持っていたのは、学者を出した那波家の遺伝子のなせるわざかも知れません。

2004/4/24追記

 

メールに書いてあったのですが、姫路にあった2つの脇本陣は、那波家と三木家で、養子のやりとりがあったというのもそういうつながりが関係しているのかも知れません。

河野峯吉氏の本では応永2年2月25日生まれの蓮如の継母は、那波浦から来ているというのが出てきました。

2004/5/24追記

関連ページ

三坂の三木家について 
播磨の郷土史の本 『譜代藩城下町姫路の研究』には那波屋のことが詳しく載っていました。
英賀城 司馬遼太郎が、宇野氏ですね。那波活所、福崎町の柳田国男が入り浸っていた三木家と、どうやら学問好きの家系ですね。1580年に英賀城の落城に際して、城主と息子は那波に落ち延びたそうです。『英賀保之歴史』という本の63ページには、龍野市の光善寺が那波から移ってきたことが書いてありました。
ジャパンインパクトの刃物の再放送を見ました 2004/4/24追記
『世界の中の日本』の感想

分離 2004/5/24 - 更新 2004/05/30

家系図関連 目次

Google
Web www.PAG1U.net

関連ディレクトリ

個人情報

通信

姫路

発明 

関連サイト

僕のY染色体の12のマーカー

読書メモ

 
 
 
 
 
  
 
 
 
 

 

seo

ホーム 家系図 松岡肇