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播磨が地方分権をリードしそうな理由明治維新で一番の貧乏くじ明治維新の時に、薩摩、長州、土佐、佐賀などが活躍した理由は、外様大名だったということがあります。姫路には家康の孫千姫が嫁ぐくらいですから、佐幕派として多額の賠償金をはじめ厳しい扱いを受けました。県庁所在地の市の名前が県の名前と違うのは、廃藩置県の際のいやがらせと一般に言われていて、そういう県は他にもあります。 しかし、大国播磨の場合は、人口や納税額において数分の1の摂津のごく一部である小兵庫県に併合されて県庁を失っています。明治維新は激しい革命でしたが、革命の主役たちは戦いの中で死んだりして、その後、明治憲法(軍部の暴走を止められない欠陥憲法だったみたいです。)が制定される明治22年までは初代小兵庫県知事伊藤博文などが適当に日本を治めていました。彼らの恣意的な行政によって、播磨の独立運動はつぶされ、神戸への集中が一気に進みます。
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2002/7/19 作成 - 2007/03/02 更新 |
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