自動販売機
ジャパンインパクトとは関係ないのですが、日本人の独自性としてロボットに抵抗感が無いというのが言われますが、それ以前から、自動販売機が街中にあふれているのは日本の風景として有名です。とりあえず、自動販売機の分野では有名なグローリー工業の本社は姫路市にあります。日本独自の物のルーツが播磨に集まっている気がだんだんしてきませんか?
2003/8/13追記
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肉食禁止
日本の食の独自性について、『聞き書 兵庫の食卓』という本に入っていたリーフレットに書いてあったのですが、肉食を禁止していた長い歴史の影響が指摘してありました。このことが播磨と直接結びつくわけでもなく、姫路に関する有名なサイトは姫路のハムの会社のものだし、BSE騒ぎで政府による牛肉の買取の際に不正の内部告発をしたのが姫路支店だったというのがありましたから、すでに、そういう時代ではなくなっています。
しかし、健康ブームが進展して、肉食の人気が減った場合には、播磨が魚介類が獲れる沿岸部に立地していることの重要性が増加しますね。単なる健康ブームというのではなく、ある種の遺伝的特性を持っている人にとって、天才になるか、分裂病発病するかの境目は、EPAを大量に摂取していたかどうかの差だという風な説を述べている本もあったりします。(『天才と分裂病の進化論』)
2003/8/27追記 |
朝日新聞に、動物性脂肪の比率を抑えて循環器の病気を減らすという記事が見開きで載っていました。日本食への回帰が進むかも知れません。
記事で、このページのことを思い出したのですが、良く日本人には、飢餓に耐える肥満遺伝子を持った人が多いという様な事を言いますが、肉食の禁止という社会的な圧力のせいで、肥満遺伝子が死に絶えずに生き残ってきたと解釈することも可能な気がするのですが、十数世紀の歴史では、差が出ないかなあ。仏教による肉食禁止が日本より早く解けた韓国で肥満遺伝子を持っている人の比率はどうなのでしょうか? 韓国の場合は、辛いものを食べるせいで、肥満が少ないとか別の要因も絡むから比較できないのかな。
2003/8/30追記 |
とか言っていたら、広島にある水産総合研究センター瀬戸内海区水産研究所が、汚染が進んでいることを発表していましたね。
2003/9/2追記 |
武士道
武士道については、時代錯誤的なノスタルジーという風に扱われることが多いのだと思いますが、ともかくも日本起源のものでしょう。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」を、主君のために命を捨てろとか、家の名誉のために命を捨てろとか、そういう意味に解釈されることの方が多いのではないかと思います。播磨の宮本武蔵のブームのせいで、何冊か読んだ中で、武蔵を武士道の源流の1つと位置づけている本もあったのですが、武蔵にとっては、死を恐れない胆力を鍛えることこそが、実戦的な武術の上達の方法だったわけで、平和ボケした江戸時代に変質してしまったものの、ルーツにおいては、実用的な意味を持っていたのだという風に思うこともできると思います。
書写山円教寺でロケを行ったトムクルーズの『ラスト サムライ』で描かれる武士道精神がどんなものか、期待して見たいと思います。
2003/8/27追記
武蔵は武士道のルーツのひとつだったかも知れませんが、そんなに洗練されてはいない気もします。例えば、「敵を敬う」というのも武士道精神ということになっていますね。柔道でお辞儀をしたりするあたりはそうかと思いますが、武蔵ならお辞儀している隙に、攻撃しそうな気がしてしまうので、この部分についてルーツなのかどうか、疑ってしまいます。よくわざと遅刻してイライラさせる卑怯な戦法とかいう風に非難されているわけですし。
武士道のうちの正々堂々とかスポーツマンシップに似た部分が武蔵と関連するかどうかは知りませんが、オリンピックのことを新聞が五輪と表記するというのはもちろん、オリンピックの旗から来ているわけですが、それだけではなく、武蔵の「五輪の書」にもからめてあるのだそうです。読売新聞が始めたそうです。
2008/6/7追記 |
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新撰(選)組
NHK大河の新選組で播磨が関わるのは、本願寺の屯所が、姫路市亀山の本徳寺に移設されているというくらいだと思っていたのですが、『歴史街道2004/2』を読んだら、新撰組の服の袖やすそのギザギザ模様のデザインは、当時の演劇に描かれた赤穂浪士のスタイルだったそうです。新撰組はあれこそが武士道という感じで赤穂浪士に心酔してデザインを真似たそうです。実際に赤穂浪士がそういう服を着ていたというわけではないし、新撰組も後には黒装束に変えたとも書いてありましたが。
2004/1/10追記 |
朱子学
武士道のルーツの1つとみなされている儒学の中の1つ朱子学の日本における祖である藤原惺窩は、三木市細川町生まれということで、武士道を遡っても播磨にたどり着く確率がまた少し高くなりました。
関連ページ
2004/4/24追記 |
東京大学
家康の要請を3度断った藤原惺窩の代わりに、弟子の林羅山が江戸に行ったわけですが、林家の塾が、やがて、昌平坂学問所になり、それが東京大学になったわけで、日本的なものというわけではないかもしれませんが、一番有名な大学ではありますね。
関連ページ
2004/5/4追記 |
相撲の始祖・野見宿禰の墓
菅原道真の祖先野見宿禰は出雲の人ということで、ルーツとは関係ないのですが、出雲と都の中間にあるということに関係するのでしょうか? 播磨にも墓があるのですね。
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野見宿禰 |
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のみのすくね |
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野見宿弥 |
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のみすくね |
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"野見宿禰の墓" |
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"野見宿禰の墓" 桜井市 |
9 |
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"野見宿禰の墓" 高槻市 |
4 |
"野見宿禰の墓" 宍道町 |
2 |
"野見宿禰の墓" 堺市 |
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"野見宿禰の墓" 鳥取市 |
1 |
2005/8/2追記 |
塩 TVのCMで、赤穂の塩は、日本の塩の原点という風に言っていました。 これも本題とは関係ないメモ。
赤穂浪士の後、赤穂の塩はさらに人気になったというようなことを最近読みました。「バンカル1997冬」の塩味饅頭のところだったと思います。 2004/4/24追記 |
醤油 龍野の醤油は、今では銚子に抜かれているのでしょうが、醤油味は明らかに日本の味ですね。
2004/4/24追記 |
時計
NHKスペシャルを見ていたら、江戸時代に万年時計を作った田中久重という人の作品を復元して愛地球博に展示するというプロジェクトを紹介していました。(田中久重は、東芝へとつながっていくそうです。)江戸時代なので、田中久重の方が時代が古いわけですが、量産ということになると、姫路が出てきます。
外部リンク
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〜外国への恐れとあこがれ(国産)〜 {日本の時計製造は、柱時計から始まった。最初の時計は、1875年に、金子元助(金元社)や、篠原右五郎(姫路:播陽時計会社)によると言われる。}とあるので、どちらが先かは知りませんが、播磨に日本の精密機械産業のルーツの1つが存在していたことがわかります。(途絶えているみたいなのでルーツとは言えないかも知れませんが。) |
2005/4/23 追記 |
蚊帳(かや) 『播磨国風土記』に飾磨郡の賀野の里(夢前町 鹿谷村? 加野山? 賀野神社?)が、蚊帳のルーツという様な記述があるようですね。
扇子のルーツを探していてたまたま見つけたのですが。
2005/9/9 追記 |
色鉛筆
色鉛筆を発明したのは誰? と娘に聞かれて検索してたまたま見つけたページに書いてあったのですが、日本最古の色鉛筆の筆跡の残る古文書が姫路神社にあるそうです。
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株式会社トンボ鉛筆 {日本最古の色鉛筆は、姫路神社所蔵の古文書に赤鉛筆で書かれた筆跡が残っていますが、赤鉛筆そのものは現存していません。} |
2005/10/14 追記 |
日本はトンボの島?
世界ふしぎ発見!の2006/5/20の回で黒柳徹子が言っていたのですが、日本を意味する秋津島の秋津はトンボの意味だそうです。「夕焼けこやけの赤とんぼ〜」は、たつの生まれの三木露風作詞です。あと、意味ありませんが、{赤とんぼ、赤色鉛筆、トンボ鉛筆}と三角形ができていますね。
2006/5/26追記
wikipediaでも日本でトンボのイメージが良いことが書いてありましたが、以前、NHKの番組「COOL
JAPAN」で、ファーブルが有名なのは日本だけ、子供が昆虫採集したり虫かごで飼うのも日本だけという風に言っていました。
2007/11/12追記 |
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関連ページ
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「日本人の好きな偉人」をMSN順にランキング 織田信長が1位坂本竜馬が2位に来ていましたが、きっと小泉独裁の弊害や、金がすべてのグローバリズムの弊害に気づいていない時期のアンケートなのでしょう。MSNのヒット数で並べ替えて見ると、幕末や維新の人々より、武士道の源流にいる播磨の二人が上位に来ています。 |
2006/5/7追記 |
皮革
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兵庫県皮革産業の歩み このサイトによれば、古いことなので確たる証拠は無いものの、播磨で発展し、戦国時代や江戸時代になって、市川上流の高木村から全国に広がっていったみたいですね。 |
2007/11/12追記 |
日本初の猫
外部リンク
2008/2/18追記
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