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『世界の中の日本』の感想司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談です。 8ページには、和辻哲郎が出てきました。『鎖国-日本の悲劇』その後、しばらくすると、鎖国を肯定する声が出始めたのとの対比で、昭和25年までは鎖国は否定的に扱われていたというの文脈でした。以前は、天皇制についてのところで出てきたし、思っていたより重要な人だったのですね。 46ページに、日本人が猿真似扱いされるのは、似合わない洋服を着て不恰好に踊っている日本人の様子を鹿鳴館で見たせいだという風にいっています。別の本では、鹿鳴館に熱心だった代表として伊藤博文が上げられていたのではないかとおもいます。「鹿鳴館 伊藤博文」で検索すると借金まみれの伊藤博文というのが出てきました。東播磨の大金持ちで、本間光丘よりもお金持ちだったという日本一の金持ち近藤亀蔵という人は、伊藤博文とも知り合いで、貸し倒れが多かったみたいですから、東播磨の資金が、伊藤博文に浪費されて消えて行き、残ったのは猿真似の別称のみということでしょうね。野口英世もそうですが、日本政府は、借金踏み倒しの浪費家をお札に使うのが好きですね。 75ページに、司馬遼太郎の祖父が、1905年までちょんまげを結っていたというのがでてきました。那波家の人でそういう人がいたそうです。同じ宇野氏ということで、面白いと思いました。 164ページに本地垂迹説の例として、八坂神社はスサノオノミコトが祭神で、仏教的に言うと牛頭天王ということになるという様なのが出てきます。仏教と神道での神の対応関係というのは面白いですね。多分、ギリシャ神話とか、ヒンズー教とかいろいろの神についてすでに言われているのでしょうが。 176ページに、日本の家庭が清潔すぎてどこで唾を吐いてよいか分からないと言った西洋からきた宣教師の話が出てきます。この話は、別の本でも読んだことがあったのですが、この本では、清潔さは、神道の唯一の教義だみたいなことになっています。ミソギとかあるのでそのあたりでしょうか? 179ページまで清潔さについての話は続いていて、東南アジアは清潔ではないけれど沖縄は清潔なので、気候とかそういうことではなく、あくまでも神道の影響だということになります。半導体工場にしろ医療にしろ食品製造にしろ、清潔さというのは重要なことなので、当然の様な気もしますが、僕個人はそんなに清潔好きでもないので、日本人らしくないのかも知れません。 199ページでは、外国人に日本語を教えて日本で差別無く暮らせるようにすべきだというのが出てきます。中国人にアパートを貸すと油だらけになるから貸さないとか、西洋人はたまにしかシャワーを浴びないから体臭が臭いとか外国人差別ばかりしていては良くないといったあたりなのでしょう。 関連ページ
作成 2004/5/30 - 更新 2007/03/02 |
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