を読んでいて、安曇と呼ばれる海人族起源の地名として、飾磨がでてきました。灘のけんか祭りの由来の中でも、神功皇后の朝鮮出兵の際に、船をぶつけて殻を取ったの
を神輿をぶつけて表現しているというのが出てきます
から、矛盾を感じません。
遺跡とかも、市川の東側の方が多いので、神話の時代には、市川の東側の方が栄えていて、14丘も、例えば東山のブックバーンあのあたりを中心として、周囲を囲む14の丘なのではないのでしょうか?
すでに比定の試みがなされていてそれには反する意見になると思うのですが、地域全体の中から14の丘を選んで神話ができたというよりは、ある地点から14の丘が見えていて、それを説明する物語が現在にまで伝わっていると考えたほうが簡単だと思うのです。
姫路城から書写山とか増位山を見ても屏風の様に水平につながっていて数を数える気にはならないけれど、東山からの景色だと西から、甲山、仁寿山、小富士山、、、、、高坪山という感じで高い山ではないけれど、ぽこぽこと小さくて名前も知らない山が並んでいて、数える気になります。
カシミールのカシバードで360度パノラマを表示してみたのですが、僕の印象ほどはポコポコ感がありません。東山のブックバーンのあたりは、まだ建物が密集していなくて単に周囲の景色が見えて、なおかつ、東側に山が迫っていたために、なんとなくそう思っただけのことかも知れません。
2004/2/9追記