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懐疑主義について

串田氏に対して執拗に批判する人がいる謎について考えてみました。

疑似科学分野を思い出せば、珍しくないことなのですが、極端な懐疑主義は、最初にうっかり真に受けてしまって、騙されたと感じて恨みに思うというところからスタートしています。串田氏の例で考えると、予報を知人に伝達して、予報がはずれ知人にさんざん馬鹿にされたという様な嫌な経験をした結果、180度方向転換して串田氏を攻撃するみたいな人がアンチの正体だと僕は見ています。通行止めにぶつかると180度方向転換して地球を一周して目的地に向かおうとする人の戯画を思い出せばそんな反応はありえないと考えるところですが、でも実際は存在するわけです。

それは、個人レベルでみると無意味な戦略が全体としては有利になる場合があるというパラドックスから来ています。0.9の確率で起こる未来と0.1で起こる未来に、現在の時間をどの比率で賭けるのが有利か? という問題があったときに、0.9の未来に0.9、0.1の未来に0.1の時間を賭けるより、0.9の未来にすべての時間を賭ける方が期待値として有利になるみたいなことです。

「未来は過去の延長である。すべて世はこともなし。何かあってもなんとかなる。」という考えは個人レベルで見ると破れかぶれに見えるにも関わらず、その考え方をとる個人からなる集団の方が有利というパラドックスです。

限界を含め最初から正しく理解する能力があれば、盲信することも、裏切られて懐疑主義者になることもないはずなのですが、せっかく、それだけの理解力があっても、白か黒か一か八かの集団どころか、何も考えずに、多数派に付くくらいの能力の方が、生存上は有利に終わるという皮肉です。

こういう観点に立てば、アンチさえ無駄なわけで、アンチであるにも関わらず、捨てきれずにぐずぐずしている懐疑主義者というのは、やはり謎であるわけですが、まあ、それが「人間的」というものでしょう。

実際に仮説の検証を行っている当事者は、人生の多くの時間をそれに賭けてしまっているわけで、その最中の人に向かって客観的にとか視野を広く持って影響を考慮しろとか言うのは酷というか、言っても無駄だと思います。

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作成 2005/6/2 - 更新 2005/06/02

  

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