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『海峡を往還する神々』の感想関裕二氏の書いた本は何冊か読んでいるのですが、既刊の本の関連部分の概略とか出てくるので、一番新しいのを読めば良いような気がして、出版されている数と比べると極一部を読んでいるにすぎません. 播磨の揖保郡から上陸し、出石あたりに住み着いたアメノヒボコが主人公の本です.以前、但馬の地元の人が書いた『アメノヒボコ』という本を読んだことがあると思うのですが、関連の和歌の解説だったりして、印象にはほとんどのこっていません. アメノヒボコは、蘇我氏で、同じく播磨から上陸した弓月君は、秦氏という整理がされているので、それだけでも気持ちがやすらぎました. 古代史の人々のことは大抵は良くわからないわけで、もやもやしたストーリーが普通ですから.というか、アメノヒボコと弓月君を新羅と百済の違いはあるが同じ扱いをしている本もあって、そうなのかと思っていたのですが. ただし、アメノヒボコの別名は、 無数に出てきて出雲の神と戦ったはずなのに、アメノヒボコも広義の出雲の神に入れられてしまっています. アメノヒボコによる易姓革命本題は、アメノヒボコは、神功皇后と結婚し、その子孫が現在の天皇家につながっているというものです. 邪馬台国からヤマトへ卑弥呼の宗女トヨが邪馬台国の後を継いだことになっているが、それは、対外的な言い訳にすぎず、越出身で、ヒスイを持っていた姫でもある神功皇后と、朝鮮半島から製鉄技術を持って日本に戻ってきたアメノヒボコが組んで、北九州勢力を討ち、卑弥呼も殺し、アメノヒボコが政権奪取しようとしたが失敗し、代わりに、神功皇后がトヨとして政権を継承した.しかし、それによって得をしたヤマトに裏切られ、一時は南九州に逼塞することになった.しかし、ヤマトでは、人口が半減するほどの病が流行し、その結果、アメノヒボコと神功皇后の子孫が、アメノヒボコの子孫としてではなく、神功皇后の前夫の子孫として皇位についたという様なストーリーでした.わかりやすい 難点は、邪馬台国からヤマトへの空白を埋めるために、アメノヒボコと神功皇后に多くの別の名前の登場人物のエピソードを重ね合わせていることですが、まあ、でも、かなり成功していると思います. 関連ページ
作成 2006/3/5 - 更新 2006/12/07 |
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