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『猿田彦と秦氏の謎--伊勢大神・秀真伝・ダビデの影』の感想

以前に買っていたのですが、秀真伝(ほつまつたえ)は偽書かも知れないと思っていたので、それに立脚しすぎている気がして、途中で読むのをやめていました.とはいえ、先日、『ヒッタイトは日本に来ていた』を読んだ後なので、それと比べるとかなり読み応えがありました.また、以前読んだ『隠された十字架の国・日本』にかなり影響を受けた本であるようです。

『仏教の中のユダヤ文化』では、出雲が、ユダヤの支族のうちのルベン、ガド、マナセ族系で、国の統治をエフライム族に譲ったのが国譲りのエピソードとして伝わっているとなっていたのですが、この本では、猿田彦はダビデに相当する様な縄文の古層の神で、それをベースにして、弥生の渡来人秦氏が原始キリスト教を基にした神道を広めたという風なことになっています。

関裕二著『蘇我氏の正体』では、猿田彦とアメノヒボコと武内宿禰の関係について1節があるのですが、この本にはアメノヒボコは全然出てきません。というか、融通王とか出てくるのでアメノヒボコという字面がないだけとも言えるし、別の時代別の経路の人を関連付けすぎると混乱の元でもありますが。

ページ メモ
137 雛祭りの起源について{弥生三日に御酒(みき)造り初め〜飲みて交わる}という様なホツマツタエにそって書いてあるのですが、その中に木と実にちなんで、モモヒナノキノ命とモモヒナノミノ命名づけそれ以来、男神の名には「キ」女神の名には「ミ」をつける習わしになり、「キミ」には男神女神一対という意味があるとありました。

キとミについては、イザナキ、イザナミもそうですね。御酒は「みき」と読むわけですが、「みさか」と読めなくも無く、三木と三坂の関係も気になります。

146 秦氏の支族出身の勝益麻が平安京の建設に役夫3万人を私財を投じて食料付きで雇った。
山背国の実力者秦島麻呂は用地と莫大な資金を提供した。
大内裏の土地の元の持ち主秦河勝が、天皇に土地を提供し、都の中心大内裏を造営した。
ということになっていました。

『ヒッタイトは日本に来ていた』のなかでは秦河勝一人が平安京を作ったかのように書かれていて驚いたのですが、まあ、荒い近似ではあったのですね。

仁徳天皇古墳は世界最大の墳墓なのだ。とありました。

ギネスブックに載っているかなあ?

152 須恵器も秦氏の技術ということになっていました。

播磨は須恵器の主な生産地4つの中の1つではあると認識していたのですが、赤穂の坂越の重要性を考えると、特に初期においては最も重要だった可能性もありますね。

157 秦氏が名前を変えていく例が挙げられていました。廣幡という名字も出てきました。

『ヒッタイト〜』で、広畑という地名をヒッタイトと結び付けていた

157 川瀬勇氏は著書『日本民族史』の中でAD280年前後から500余年の間に数万人から12万人の渡来人が日本に帰化しそのうち秦氏の人口が3万人

奈良や京都の人口の9割以上は渡来系だった時代があるとか、秀吉が禁止する直前のキリスト教徒の比率が最大だったとか、似たような話は読んだことがあったのですが、引用元が思い出せません。

166 焚書坑儒の「儒」はユダヤのジュだと書いてありました。

儒教の儒も同じ漢字なのですが、儒教とユダヤ人との関係はどうなのでしょう? googleで最初に出てくるページでは両者ともに現実的合目的的だと共通点が書いてありましたが。実際にどう影響しあったのでしょう?

181 稲荷神社は狐ではなく猪を追い払う益獣としての狼をまつっているというのがでてきました。

狼は、「おおかみ」なわけですが、大神との関係はどうなのでしょう?

183 INRI(ユダヤ人の王ナザレのイエス)が稲荷神社の語源

INRIは、『隠された十字架の国日本』でも出てきていた様な気がしますが、稲荷神社と結び付けてはなかったかも。僕の実家の西に細い参道があって北西に小さな稲荷神社があります。『シルクロード渡来人が建国した日本』では、鳥居の形にこだわっていて、両脇の2本の柱だけが古く、次に、柱の間に縄が渡っているものがあり、その後に現在の鳥居の形になったという風になっていましたが、鳥居が何個も重なっているというのは、それだけ後の時代の神社だということでしょうね。インド経由でやってきた海洋系の渡来人たちが造った海に向かった神社が先にあって、秦氏の稲荷神社などなどが後ということでしょうね。実家の北西の稲荷神社は東を向いています。

193 聖徳太子は、蘇我一族の血筋を引くなどともいわれるが、それは後世の捏造や付会であり、太子は蘇我氏の血筋などとはまったく関係が無いのである。と断言してあります。

関裕二という人の本『蘇我氏の正体』(だったか?)では、秦河勝が大化の改新前の政変の暗殺の下手人ということにされていて、驚いたのですが。邪馬台国にありとあらゆる説があるみたいに聖徳太子関係も諸説乱れていますね。

264 松阪市の阿坂山東麓に大小の阿射賀神社があり、その伊豆速布留神は『倭姫命世記』によれば、道行く人が100人通れば50人殺す恐ろしい悪神として描かれているそうです。

播磨国風土記の生野の地名の由来の所にも、もともとは峠を超えると半数が死ぬので死野と呼ばれていたという風な同じ表現があったと思います。

277 黄泉の国の入り口にふさがっている磐岩(いわ)の神、道返大神(みちがえしのおおかみ)というのが出てきました。

播磨の国の一宮は、宍粟郡一宮町にあって、伊和神社であるわけですが、出雲系の神と言われているわけで、それでOKということでしょうか? 似たような伝説が各地にあるので、どこがルーツなのか気になってしまいます。あと、伊和神社は出雲系で、出雲にある金屋子神社は播磨の宍粟郡から来ているというあたりも混乱します。

関連ページ

『シルクロード渡来人が建国した日本』の感想

『ヒッタイトは日本に来ていた--地名から探る渡来民族』の感想

『呪術がつくった国日本』の感想

『海峡を往還する神々』の感想 2006/3/5追記

「ほつまつたえ」と「ホツマツア」は似ている 2006/11/26追記

秦氏関連のページ 2006/12/7追記

作成 2005/9/1 - 更新 2006/12/07

  

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