『MADE IN JAPAN - わが体験的国際戦略』の感想『企業人』夏目房之介の中に出てきた、freebitの社長のインタビューで、熱く語られていたので読みました。有名な本なので、一部は以前にどこなに引用でもされているのを読んだ記憶もありました。 品質管理の技術が日本のお家芸だった時代の話なのですが、当時はまだ韓国はそれほどの強敵ではなかったみたいですね。ちょっと前は富士通がプラズマディスプレーの特許で、サムソンを訴えたりしていましたね。本の中では、部下の提案を却下したせいで重要な人材を外にだすことになってしまったと悔やんでいたプラズマテレビですが、2003年の統計では国内4位と、スタートに失敗したわりには、この10年ほどでそれなりに挽回していますね。また、電卓での撤退が早すぎたと何度も悔やんでいる場面も出てきましたが、パソコンでも、デルに抜かれてソニー国内4位ですから同じようなものですね。生き残るのは3位までだという説がありますから4位でいることは苦しいでしょうね。インターネットに関しても、freebitの社長に、SONYに来るな起業しろと言ったわけで、後で後悔していたかも知れません。松下なら追いつけ追い越せが得意なので、後から追いつけるところが、競争を避け先行者利益を追求するというポリシーがあるせいで、重要な部分を逃してしまうことがあるのですね。 230ページで、経営者として、社員に幸福を与えるわけにはいきません。幸福は自分が作り出すべきものですと言っていいました。昔、僕がソフトピアジャパンセンターにいた頃、会社の理念みたいなものについてのアドバイスとかそういう感じの面接があったのですが、事前に提出したアンケートに社員の幸福にまでは責任持てないというようなことを書いたことがあって、この本は読んでいなかったけれど回りまわって間接的な影響を受けていたのかなあと思ってしまいました。僕としては、作りたいソフトがあって、手伝って欲しいけれど、社員にもそれぞれ目指しているものがあるだろうから、それを犠牲にしてまでやってくれとは頼むわけにはいかないという様なそんな文脈だったのですが、今思うと、面接の人は、きっと、ソニーの真似かと思ったでしょうね。 328ページでは、簡単にリストラするアメリカの経営者に文句を言っています。ゴーン社長を思い出したのですが、盛田昭夫氏が1999年10月3日に無くなって、日産リバイバルプランの発表が、1999年10月18日ということで、盛田昭夫の目の黒いうちは日本企業が大量リストラをして、マスメディアがそれをもてはやしたりする様子を見なくて済んだわけですね。 345ページには、ソフトウェアについては、著作権法でも特許法でもない別の新しい法律が必要なはずだと唱えています。これはもう少し具体的であって欲しかったところです。 357ページに1974年に初の共産圏視察として、ソ連の工場視察の話も出てくるのですが、本当のことを言っても良いか? とかなり言いたい放題言ってきたみたいです。まだ、ソ連は崩壊していなかったわけで、効率とか無縁の世界ではあったのでしょうが。それから、マジックテープが宇宙開発の過程で発明されたというのもどこかで出てきたのですが、ソ連の発明だというのは出てきませんでした。子供の頃は反ソで教育されてきたのでアメリカと戦争するとは思わなかったと言っていて、むしろアメリカで英語を駆使して、蒋介石への同情を誘った蒋夫人に反感を持っているかのようでした。アメリカに原爆落とされても親米反ソなのですね。単に巨大消費地としてアメリカを見ているだけではないようです。 372ページでは、航空機エンジンが1箇所、航空機組み立てが2箇所でのみ、真空管が3箇所で90%、など工場が分散していなかったために空襲に弱かったと書いてあるのですが、兵庫県だけで航空機の工場は3個はあり、姫路にも川西航空機姫路工場がありましたからなにか変です。それに、ソニーは、ブランド力重視なので、銀座、ニューヨーク、パリ、一極集中の中心地にショールームを出すわけですし。 488ページには、バブル崩壊前のことですが、アメリカからの圧力は、当時もすごくて、この中にもアメリカの会計基準やら何やらを世界標準にしようとする動きというのは出てくるのでした。グローバルスタンダードという字面は出てこないものの、技術系の用語だったグローバルスタンダードを、広い意味で使うようになったのは実はこの本あたりにルーツがあるのかも知れません。ちなみに、googleで「グローバルスタンダード」を検索すると、いまだにインチやポンドを使っているアメリカがグローバルスタンダードに従えなどと片腹痛いと罵倒しているページがトップに出て来ました。 関連ページ
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作成 2004/5/28 - 更新 2004/05/28 |
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