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「日経サイエンス98/8」の対談に出ていた森さんによれば、「サブリミナルマインド」中で、カクテルパーティー効果についての記述が出てくるけれど、ざわざわうるさい中でも、聞き慣れた自分の名前が聞き取れることというのは良くある誤用だとのことでした。

>たくさんの人が同時に話していても,誰か1人の話し声に集中すると
>その人の声がよく聞こえる,というものです.両耳聴の効果と,
>分凝 (streaming) の効果の相乗作用です.
>R.T.Gregory Ed. "The Oxford Companion to the Mind" 1987, p.149,
>Oxford University Press.
      

ポップコーン実験について、下條氏が2年間本の間違いに気づかなかったのには、東大で授業を受けた生徒や、読者との共犯関係があったと思います。

http://www.alfclub.co.jp/sun/sun019.htm

東大助教授だったということで、漠然とした感慨の 権威付けに用いられてしまっているみたいです。 しかし、東大助教授といえども、でたらめなことを書かないで 済むという必然性はあまりないわけですし、権威だと思って 安心して読んでいる人が増えれば増えるほど、かえって疑われずに 済むぶん長期に渡って間違いを繰り返し広め続けることになります。

http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9702.html

激賞している人もいました。

自分のことをわかっていないのは下條氏の個性であって、 それを過剰に一般化して見せたのが本書であるという様な 解釈も可能だと思います。下條氏の本を読んで自分を疑う前に、 下條氏を疑った方が、正解にたどり着く確率が高いと思います。 下條氏に限らず一般的に言っても、まずは他人を疑った方が 効率的なのではないでしょうか?

リンク先の人から、引用元に間違いがあっても、本質的には問題ないという趣旨の反論が来たのですが、タイトルそのものなので、些末な間違いと言えるかどうか疑問です。また2年後に同じ間違いを繰り返すのは、確信犯の疑いもあります。

結論に賛成できるので根拠は嘘でも良いとか、目的のためなら手段を選ばないという態度と紙一重だと思います。

http://hosen-hs.okayama.okayama.jp/library/student/book6y16.html

わかっていないから、わかろうとするのではなく、わかっていないのは しょうがないと諦めて、とんちんかんな奴になりそうです。

http://www.phys.waseda.ac.jp/aizawa/member/masami/hobby/book/shimojo199710.html

ここからは、現在の下條氏の研究室へのリンクがありました。 心理学でありつつ、常識に逆らっているのだとすれば、それはすでに 危険信号という気がします。心理学は、2σ程の、大雑把な有意水準 で話をするしかない分野であるわけで、常識という制約の範囲内で、 いかに美しい解釈の体系を作るかという方が価値のあることです。 常識と戦うのであればもっとちゃんと現実を見て、6σくらいの有意水準 でものを言うべきでしょう。

http://www.hirojo-u.ac.jp/~w3dev/inoki/book1_j.htm#0001

星占いは、自由意志とそれに伴う責任という考え方を否定するものであるとして 攻撃されてきた長い歴史を持っています。自由意志が実際に存在しなかった としても、存在するとして扱うことに価値があれば、存在していることを 前提とした社会モデルが成り立つわけで、誰かが科学的に証明したから 自由意志が存在しているわけではありません。ところで、 星占いの場合、自由意志の変わりに、予定調和の美しい世界を描くという 機能を持っていました。

ガザニガも養老孟司もミンスキーも、自由意志を存在すると解釈すると 脳にとって都合が良い便宜的な存在として扱っていたと思います。 ニューラルネットをバックプロパゲーションで学習させる場合に 個々のPEの重みは必ずしも正しくないかも知れないわけですが 全体としては、ニューラルネットはアルゴリズムのない問題を解くわけです。

下條氏が自由意志を疑う様にそそのかすときに、代わりに提供するのは 否定された実験の派手なデータであるわけです。

http://bpel.tutics.tut.ac.jp/~naka/Hobby/hobby.html

ここでは、モノーの「偶然と必然」とならべて有ります。モノーが可哀想。 物活説的伝統とかでしたっけ。そういえば、ガザニガなどの考えも、 モノーとかの流れと関係あったのでしたっけ? コペルニクス、ダーウィン、フロイトあたりを並べて、人類の自己イメージを 崇高なものから、ちっぽけなものへと変更することを迫った人たちとして まとめてあることがありますが、下條氏がそれに新しい何かを付け加えたり していますか? 戯画化して再演したと言えるのかも知れませんが。

http://www.st.rim.or.jp/~h-kawai/BooksAndMovies/books_and_movies05.html#sabliminal-mind

積読にしているらしい人もいて、ほっとしました。正解だと思います。

http://rika.ed.ynu.ac.jp/archive/9703/0052.html

「科学」よ、おまえもか。というわけで、「日経サイエンス」だけではなく、 岩波の科学の編集者のチェックさえすり抜けてしまった様です。 認知的不協和の理論を見つけたのはフェスティンガーとかだったと思います。 そういえば、これもまたガザニガなどの言っている脳の解釈機構の 仕業という説を補強している理論ですね。心理学には珍しく不意をついた 理論でした。原子力発電所で、被爆の危険にさらされながら安月給で 働く人が、「原発は安全だ」と主張するのは、そう考える他ないからだ という風な場面で、認知的不協和の理論を援用したことがありますが ポップコーンのいんちき実験を肯定するのに、フェスティンガーで 飾り付けするなんてひどい。 よほど心理学に疎い人が、「科学」や、「日経サイエンス」の編集を やっているのでしょう。

昔々、東大の教養学部の心理学の授業を取った知り合いの女性が、 成績を上げることを条件に恥ずかしいアンケートに協力させられたと言って いたことがあるのですが、当時はそんな言葉はありませんでしたが、 今ならセクハラ問題だと思います。僕は心理学の授業を 取っていませんでしたから唯一のイメージはそれです。まったく心理学なんて 2σの世界ですから。

このページはMLのlogの様ですが、ちゃんとコメントが付いていました。

http://www.imart.or.jp/~kondou/sub2_html/book/other_2.html

複雑な神経作用とは言っても、神経細胞の様に遅い素子を使って これくらいの処理速度が実現できているわけで、プログラマーから 見れば、脳というのは、単純にして高速なものの代表でもあるわけです。 例えば、ケプラー以前は、天体の動きは周転円の固まりだった わけで、知識が不足しているために、複雑に見えることもあります。 下條氏が不可知論を推進するために、変なバイアスがかかっているのではないか と疑っておきます。

http://www.bekkoame.or.jp/~tuji/src/sinwakai.htm

50人余りの読書会の結果否定的な結論にたどり着いたのかどうか 知りたいところです。

http://www.asahi-net.or.jp/~NG1F-IST/books.html

言葉が、1つの概念を指しているという保証はありません。 例えば、フロムは、「からの自由」と「ための自由」を区別しなければ 話ができなかったでしょうし、中坊さんは、破綻した金融機関の 責任を伴わない自由をナンセンスであると攻撃しなければなりませんでした。 ポップコーン実験が事実であるかのようなことを書いている下條氏には それを訂正する責任が伴うはずですが、そういう意志は無いようです。 下條氏には、周囲の刺激から自由になるために、アイソレーションタンク にでもこもって欲しいものです。 (日経サイエンスの編集部経由で断片的に届いたメールからそう判断していましたが、98/10号には、訂正記事が載っていました。結局、サブリミナル刺激の定義を変えれば生き残るという逃げに終始している感じでした。)

関連ページ

フェスティンガーの認知的不協和の心理

04/01/31更新

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